ここはわたしの育った(?)ジャイアンツ球場。
あわよくばリハビリ中の小笠原拝めるかと思ったけど、いるのはわかったけど姿見れなかった。サンリオピューロランドのキティちゃんか。見せろ~足だけでもいい、見せろ~
二軍の牧歌的な試合もほんとに楽しい。球の唸る音はさすがに聞こえないが、キャッチャーミットにスパーン!って入る音とか、バットに球が当たる音、選手とベンチの声出しが生で聞こえて実に喜ばしい。
そういえばG球は、桑田の(私が最後に見た)登板の日以来だった。
あの日!!
きょう登板します、そして退団しますって自分で言っちゃって、勝手なことすんなバカ!って辰っちゃんが怒ってたんだよね(笑)
わたしは当日ギリに知って、引退する気なんだと思って驚異的な速さで支度してスッピンで電車に飛び乗って向かったんだけど、小田急線で異例のアナウンス「G球はいっぱいでもう入れないそうです」みたいなことが流れてて、でも結局見れたけど。
あのとき、桑りんは(最期にG球で投げるのは、かつ、それを予告するという異例の行動をとったのは)、「(肘の)手術してどん底だったとき、G球で支えてくれたファンに感謝してるから」みたいなこと言ったんだけど、それどう考えてもわたしなんだよね!!(また、病気が…)
手術して帰国して、桑りんが多分はじめてG球にきたときだったか、とにかくリハビリはじめた最初のころ、わたしもいて (ていうかわたしはほんとにいつもいた…近所に住んでたし、そして飽きもせずずーっとひたすら選手をみてた。小学生の野球小僧のようだった)、そのとき周りに人もそんなにいなくって、
「桑りん!!おかえり!!痛い?!大丈夫?!あたし待ってるからね!!」
みたいなこと言ったんだけど、いつも桑りんはわりとクールで下向いたままな感じな人だったんだけど (あ、でも小さい子どもとかには優しかったかな、まあ単にわたしがウザかったんでしょう、わたしは子どもにしちゃ少々大きかったし…)、そのときに限って、こっち向いて、笑って、ありがとう。って言ったの。
それで、あら、珍しい…。こりゃ、相当まいってるんだな、と思ったんだけど、で、その後の復活劇は周知のとおりなんだけど…。で、その「怪我した時…」の言葉聞いて「あー!あのときだ!あのときのこと、桑りん覚えてたんだ!!」とマジで胸熱だった。
まぁ、当然ほかにもいっぱいそういう人はいるだろうけどねぇ…
心温まるファンと選手の心の交流でしょ!昔ってなんかいろいろこうオープンだったんだよねぇ…
それにしても、日ハムって北海道だよね?わざわざ二軍の試合のために北海道から川崎まで来るのか、大変だね。お金もかかるね。二軍ばっかり行ってた時期もあった(郁さんの晩年の一年ほとんど二軍暮らしだったからそれを追ってた)けど、戸田球場とか遠くても小田原とか高崎のイメージだった。(あ、当時はハムは在京だったのか…北海道に球団はなかったか…)
ベンチの懐かしい面々、川相さんに岸川さんに荒井幸雄さんに清水君に上田さんに… あー、みんな元気で働いててうれしいな。わたしも元気だよ。楽しかった。またこようっと☆
---
桑田のこと思い出したので昔のブログから桑田関連拾ってきた
---
2008.03.30(Sun)
桑田引退
さて、われらが桑田が引退しました。
私はキヨは嫌いですが、この二人は 小沢・小山田 みたいに一生引き合いに出され続ける運命なのですよね、コメントを
「心に穴が開いたよう」
「最高にかっこよかったぞといってあげたい」
「心の中のエースは桑田一人」(私も!)
各球団に一人ずつくらいひいきの投手はいたが、あと、伊藤智が別格だが、やっぱり桑田が心のエース、ただひとり。(熱い思いは以前、G球場での退団試合のときに十分語ったので省略)
「ボールに話しかける」奇行等でも話題になりました。最後も、マウンドにボールを置く瞬間の、いい写真がニュースにあちこち出てました。桑田はまた、あまり野球をみなそうな文化人っぽい人々(男)にも支持が高かったのもポイント高いです。(教授とか、弁護士とか)
今後ピッチングコーチで戻ってくるのかと思いますが、辰っちゃんとは仲が悪いから原内閣中には入閣はないかもしれませんね(私はどっちも大好きなのに・・・)
桑田は本当にまじめだから監督になるとなったらそれはそれでしっかり勉強してそつなくやるでしょう
ナベツネが「辰っちゃんがあと4・5年やって、ヨシノブ(え~?!まじ)とかもいるだろ。その後かな(桑田が監督やるのは)」といっていたみたいですが、桑田は好きだけどピッチャー出身の監督ってどうも違う気がする私。
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2007.09.20(Thu)
そして、脱ぐ美学と脱がない美学
一方、体のあちこちを切り刻みながらも、ユニフォームを脱がない美学をつらぬくまた別のヒーローがここに
桑田真澄オフィシャルブログ
また切ったのっ!アンタいい加減にしなさいよっ!
と思わず突っ込みをいれた写真。
>試合復帰まで、5,6ヶ月かかるので、
>ちょっとリハビリが厳しくなると思うけど頑張るよ。
そしてまだ投げるつもり!!くーったまらん!かっこいい!
私も小さなことに憤ったりちょっとしたことで落ち込んだりしないで、もっとがんばろっと…
---
2006.10.20(Fri)
本の街(Zin-bo-choで配ってるフライヤー)に、弁理士か弁護士か教員かそのどれでもないか、みたいなちょっとしたおっさんが桑田について、大体次のようなことを言っていた(要約By私)
「同じようなことしか言わない他の筋肉バカ的な野球選手と違って、桑田は自分の言葉で話すから好きだ」
「原監督とは職業観が合わない、とはっきり言ったが、たいへん勇気のいることだと思う」
(今手元に本がないので印象ではこんなとこ、当然もっと品のある書き方でした、すいません。)
で、その人は20年応援してきて、これからは桑田のいるチームを応援していくと。
野球選手に限って言うと(なぜなら他の業界の人をあんまりしらないからです)、「大の大人の、しかも男」に支持される選手は、ほぼ間違いなくランクが高い。(私の中で)
男がほれる男というのでしょうか。
参考→わたしがすっごいヒマなとき作った「野球選手偏差値」(笑)
(LINK)ミユログ2005/3/24
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2006.09.24(Sun)
ザデイオブ桑田
もうニュースになったと思うけどほんとうに、すごい人で、G球場は山を切り開いたとこにあるので、とっくに満員になった場内に入れなかった大多数は山の中腹から見下ろしてました。わたしも崖からみてた。山なので景色も最高でした…
そしてしばらくみないうちにG球に座席ができててびっくり!
ちょっとした小田原球場みたいになってました(わかりにくい例え)
私は松井君の入団の年から見てるのでそれ以前のことは全然知らないんですが、それからの桑田のいろんなことが、思い出されてなりません。大久保(キャッチャー)は来てたかな?私がいちばん覚えてるのは手術後の復活とボールに話し掛ける姿かなー。あと、すさまじい私服の桑りんも忘れられません……(黄色いシャツに紫のパンツ!みたいな。それなんてベルサーチっていうかヤ◯ザ?)
報知が売り切れてるよー。お客さんのちらっと見たけどあれどうよ!
「友へ」。
かっこよすぎだよ!しびれるなあー
漢だなあー
---
2006.09.24(Sun)
ある男の生き様
終わりました
七回をなげきってとてもよかったです
何度もとりはだがたちました
桑りんの真面目にこつこつがんばる一途な姿に励まされたくさんの人が勇気をもらいました
アンチでも桑田だけは好きだって人多いんです
ほんとうにお疲れさまでしたそしてありがとう
桑りんは変り者すぎてこの先がまったくよそうできませんが幸多き第二の人生をこころより祈ってます。
ソープラウドオブユー
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あわよくばリハビリ中の小笠原拝めるかと思ったけど、いるのはわかったけど姿見れなかった。サンリオピューロランドのキティちゃんか。見せろ~足だけでもいい、見せろ~
二軍の牧歌的な試合もほんとに楽しい。球の唸る音はさすがに聞こえないが、キャッチャーミットにスパーン!って入る音とか、バットに球が当たる音、選手とベンチの声出しが生で聞こえて実に喜ばしい。
そういえばG球は、桑田の(私が最後に見た)登板の日以来だった。
あの日!!
きょう登板します、そして退団しますって自分で言っちゃって、勝手なことすんなバカ!って辰っちゃんが怒ってたんだよね(笑)
わたしは当日ギリに知って、引退する気なんだと思って驚異的な速さで支度してスッピンで電車に飛び乗って向かったんだけど、小田急線で異例のアナウンス「G球はいっぱいでもう入れないそうです」みたいなことが流れてて、でも結局見れたけど。
あのとき、桑りんは(最期にG球で投げるのは、かつ、それを予告するという異例の行動をとったのは)、「(肘の)手術してどん底だったとき、G球で支えてくれたファンに感謝してるから」みたいなこと言ったんだけど、それどう考えてもわたしなんだよね!!(また、病気が…)
手術して帰国して、桑りんが多分はじめてG球にきたときだったか、とにかくリハビリはじめた最初のころ、わたしもいて (ていうかわたしはほんとにいつもいた…近所に住んでたし、そして飽きもせずずーっとひたすら選手をみてた。小学生の野球小僧のようだった)、そのとき周りに人もそんなにいなくって、
「桑りん!!おかえり!!痛い?!大丈夫?!あたし待ってるからね!!」
みたいなこと言ったんだけど、いつも桑りんはわりとクールで下向いたままな感じな人だったんだけど (あ、でも小さい子どもとかには優しかったかな、まあ単にわたしがウザかったんでしょう、わたしは子どもにしちゃ少々大きかったし…)、そのときに限って、こっち向いて、笑って、ありがとう。って言ったの。
それで、あら、珍しい…。こりゃ、相当まいってるんだな、と思ったんだけど、で、その後の復活劇は周知のとおりなんだけど…。で、その「怪我した時…」の言葉聞いて「あー!あのときだ!あのときのこと、桑りん覚えてたんだ!!」とマジで胸熱だった。
まぁ、当然ほかにもいっぱいそういう人はいるだろうけどねぇ…
心温まるファンと選手の心の交流でしょ!昔ってなんかいろいろこうオープンだったんだよねぇ…
それにしても、日ハムって北海道だよね?わざわざ二軍の試合のために北海道から川崎まで来るのか、大変だね。お金もかかるね。二軍ばっかり行ってた時期もあった(郁さんの晩年の一年ほとんど二軍暮らしだったからそれを追ってた)けど、戸田球場とか遠くても小田原とか高崎のイメージだった。(あ、当時はハムは在京だったのか…北海道に球団はなかったか…)
ベンチの懐かしい面々、川相さんに岸川さんに荒井幸雄さんに清水君に上田さんに… あー、みんな元気で働いててうれしいな。わたしも元気だよ。楽しかった。またこようっと☆
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桑田のこと思い出したので昔のブログから桑田関連拾ってきた
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2008.03.30(Sun)
桑田引退
さて、われらが桑田が引退しました。
私はキヨは嫌いですが、この二人は 小沢・小山田 みたいに一生引き合いに出され続ける運命なのですよね、コメントを
「心に穴が開いたよう」
「最高にかっこよかったぞといってあげたい」
「心の中のエースは桑田一人」(私も!)
各球団に一人ずつくらいひいきの投手はいたが、あと、伊藤智が別格だが、やっぱり桑田が心のエース、ただひとり。(熱い思いは以前、G球場での退団試合のときに十分語ったので省略)
「ボールに話しかける」奇行等でも話題になりました。最後も、マウンドにボールを置く瞬間の、いい写真がニュースにあちこち出てました。桑田はまた、あまり野球をみなそうな文化人っぽい人々(男)にも支持が高かったのもポイント高いです。(教授とか、弁護士とか)
今後ピッチングコーチで戻ってくるのかと思いますが、辰っちゃんとは仲が悪いから原内閣中には入閣はないかもしれませんね(私はどっちも大好きなのに・・・)
桑田は本当にまじめだから監督になるとなったらそれはそれでしっかり勉強してそつなくやるでしょう
ナベツネが「辰っちゃんがあと4・5年やって、ヨシノブ(え~?!まじ)とかもいるだろ。その後かな(桑田が監督やるのは)」といっていたみたいですが、桑田は好きだけどピッチャー出身の監督ってどうも違う気がする私。
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2007.09.20(Thu)
そして、脱ぐ美学と脱がない美学
一方、体のあちこちを切り刻みながらも、ユニフォームを脱がない美学をつらぬくまた別のヒーローがここに
桑田真澄オフィシャルブログ
また切ったのっ!アンタいい加減にしなさいよっ!
と思わず突っ込みをいれた写真。
>試合復帰まで、5,6ヶ月かかるので、
>ちょっとリハビリが厳しくなると思うけど頑張るよ。
そしてまだ投げるつもり!!くーったまらん!かっこいい!
私も小さなことに憤ったりちょっとしたことで落ち込んだりしないで、もっとがんばろっと…
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2006.10.20(Fri)
本の街(Zin-bo-choで配ってるフライヤー)に、弁理士か弁護士か教員かそのどれでもないか、みたいなちょっとしたおっさんが桑田について、大体次のようなことを言っていた(要約By私)
「同じようなことしか言わない他の筋肉バカ的な野球選手と違って、桑田は自分の言葉で話すから好きだ」
「原監督とは職業観が合わない、とはっきり言ったが、たいへん勇気のいることだと思う」
(今手元に本がないので印象ではこんなとこ、当然もっと品のある書き方でした、すいません。)
で、その人は20年応援してきて、これからは桑田のいるチームを応援していくと。
野球選手に限って言うと(なぜなら他の業界の人をあんまりしらないからです)、「大の大人の、しかも男」に支持される選手は、ほぼ間違いなくランクが高い。(私の中で)
男がほれる男というのでしょうか。
参考→わたしがすっごいヒマなとき作った「野球選手偏差値」(笑)
(LINK)ミユログ2005/3/24
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2006.09.24(Sun)
ザデイオブ桑田
もうニュースになったと思うけどほんとうに、すごい人で、G球場は山を切り開いたとこにあるので、とっくに満員になった場内に入れなかった大多数は山の中腹から見下ろしてました。わたしも崖からみてた。山なので景色も最高でした…
そしてしばらくみないうちにG球に座席ができててびっくり!
ちょっとした小田原球場みたいになってました(わかりにくい例え)
私は松井君の入団の年から見てるのでそれ以前のことは全然知らないんですが、それからの桑田のいろんなことが、思い出されてなりません。大久保(キャッチャー)は来てたかな?私がいちばん覚えてるのは手術後の復活とボールに話し掛ける姿かなー。あと、すさまじい私服の桑りんも忘れられません……(黄色いシャツに紫のパンツ!みたいな。それなんてベルサーチっていうかヤ◯ザ?)
報知が売り切れてるよー。お客さんのちらっと見たけどあれどうよ!
「友へ」。
かっこよすぎだよ!しびれるなあー
漢だなあー
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2006.09.24(Sun)
ある男の生き様
終わりました
七回をなげきってとてもよかったです
何度もとりはだがたちました
桑りんの真面目にこつこつがんばる一途な姿に励まされたくさんの人が勇気をもらいました
アンチでも桑田だけは好きだって人多いんです
ほんとうにお疲れさまでしたそしてありがとう
桑りんは変り者すぎてこの先がまったくよそうできませんが幸多き第二の人生をこころより祈ってます。
ソープラウドオブユー
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