風の噂でなにやら大久保で「出ていけ」系のデモがあったと聞き(遅い?)
コリアンタウンで働く人と集まる人たちに出ていけっていうのかと思って
うそー!!!!
まじで!!!
人々はそこで生活しているんだよ!!!
ってことは子どももいるんだよ!!
あぁ、差別と排除
って頭を抱えたがニュースをYoutubeで指の間から見たら
竹島なんとか・・・ということなんだ・・・
だけど、コリアンルーツの子ども(子どもに限らないか。。)にしてみたら、やはり差別と排除を感じるだろうなぁ
わたし、移民やってて、
修論に直接関係ないから、とりあえず興味あるけど今それに入れ込んだら視点がますますボヤけると思って、危険回避のためちゃんと見るのも調べるのもサスペンドしてることに、マイノリティとしての移民(オーストラリアでは「移民」はマジョリティ・・・原住民以外みんな移民だから)、排除された外国人の犯罪(「外国人」の犯罪っていうのもおかしいが、犯罪は犯罪だから)があるんだけど・・・
つまり、差別や排除がなければその人そうならなかったんじゃないか、起こらなかったんじゃないか系の犯罪に興味があって、オーストラリアにいったときに、多文化チャンネル(これも、サスペンド中、いつかちゃんとまとめたい)でやってた、荒れたベトナム人街で起こった犯罪と、町を立て直すまでの番組がやってて、この話(とこの番組)きくところによると有名みたいで、差別と排除が生むこういう荒れた感じ、そして、それを立て直すのは町(コミュニティ、コミュニティを構成する、つまり住民)ということのわかりやすい一例として、オーストラリアの人の心に刻まれていて、歴史から学んでるんだなぁ と思ったわけ。(わたしで言うと、戦争中に、朝鮮人が井戸に毒をまいたというデマを流して虐殺したエピソード、これ、あることに対する人の反応と対応について、学ぶところが多いと思う)
要するに、差別と排除をするのも人、それを立て直すのも人なわけだ。
人は、差別や排除されると、心が死ぬ。で、子どものときに受けたそういう経験は、けっこう克服しがたいものなのではないか。
学校で、よく外部講師がきて同和のこととかやったり、あと「青い目茶色い目」(*1)で、刑務所に行って、地域の白人と黒人の割合に照らし合わせると、刑務所に入っている人の黒人の割合が多すぎるんだけど、そこにどう、差別が影響しているかを受刑者にインタビューすることで視聴者にわからせていくくだりがある。
オーストラリアは200年くらい?建国して100ねんちょっと?国ができたころから、移民国家だから、差別・排除が生みだした悲劇は山ほど経験してきてるわけだけど、日本て、こういってはなんだけど「日本と韓国」が圧倒的で(人種・文化の面では。差別・排除といった面から見たら非差別部落がある)、しかもこれ両方とも見た目がわりと似てるっていう、アメリカの「白人と黒人」とはまた違った歴史をもっている(詳しくやったわけじゃないから、よく知らないけど)
これからもっと移民集団が多岐にわたっていくと(言い方おかしいですね、日本には簡単に移民できない。なんていうか、国際結婚とかで、人の背景が多様になっていく感じ)、今までなかったようなことが起きていくのかもしれないですね
だけど、移民国家が世界のほかのとこにせっかくあるんだから、そこの歴史を学んで、他山の石としたらいいんじゃないかと思います
多様性を尊重しようと言うが、でわたしもそう思うが、それだけじゃなくて、人間の共通したところも同時に見ていかないと意味がない。多様性と、共通性は、コインの両面なのだ。
異文化理解を教えるとき、「違うこと」だけ教えたって片手落ちで、そこから共通の価値に気付くところまでもっていかないとダメなのだ。
「多様性」と「統一」はどっちかに偏ると、揺り戻しがくるからバランスがとても難しい。多様性の尊重に偏りすぎたら国がバラバラになるし、統一に偏りすぎたら国家主義的すぎる。この、揺らぎがわたしにはおもしろくて、人生観がかわった。
ああ、現実に起こってることが、自分の脳内とちょっとリンクすると、喋りすぎてしまう・・・(しかも超適当。いいや、日記なんだここは)
*1 わたしのソウル動画。前半は小学校を舞台に、「人は、差別のスイッチを押すと、いきなり悪魔のようになる」(誰もがそのスイッチをもってる)ってことを、後半は刑務所で、「人は、差別や排除されると、心が死ぬ」 ってことをテーマにしている。どうして、NHK様はこんな動画を埋もれたままにしているのか・・・毎年、時期決めて(キング牧師の命日とか?)放送するとか、できないのか
コリアンタウンで働く人と集まる人たちに出ていけっていうのかと思って
うそー!!!!
まじで!!!
人々はそこで生活しているんだよ!!!
ってことは子どももいるんだよ!!
あぁ、差別と排除
って頭を抱えたがニュースをYoutubeで指の間から見たら
竹島なんとか・・・ということなんだ・・・
だけど、コリアンルーツの子ども(子どもに限らないか。。)にしてみたら、やはり差別と排除を感じるだろうなぁ
わたし、移民やってて、
修論に直接関係ないから、とりあえず興味あるけど今それに入れ込んだら視点がますますボヤけると思って、危険回避のためちゃんと見るのも調べるのもサスペンドしてることに、マイノリティとしての移民(オーストラリアでは「移民」はマジョリティ・・・原住民以外みんな移民だから)、排除された外国人の犯罪(「外国人」の犯罪っていうのもおかしいが、犯罪は犯罪だから)があるんだけど・・・
つまり、差別や排除がなければその人そうならなかったんじゃないか、起こらなかったんじゃないか系の犯罪に興味があって、オーストラリアにいったときに、多文化チャンネル(これも、サスペンド中、いつかちゃんとまとめたい)でやってた、荒れたベトナム人街で起こった犯罪と、町を立て直すまでの番組がやってて、この話(とこの番組)きくところによると有名みたいで、差別と排除が生むこういう荒れた感じ、そして、それを立て直すのは町(コミュニティ、コミュニティを構成する、つまり住民)ということのわかりやすい一例として、オーストラリアの人の心に刻まれていて、歴史から学んでるんだなぁ と思ったわけ。(わたしで言うと、戦争中に、朝鮮人が井戸に毒をまいたというデマを流して虐殺したエピソード、これ、あることに対する人の反応と対応について、学ぶところが多いと思う)
要するに、差別と排除をするのも人、それを立て直すのも人なわけだ。
人は、差別や排除されると、心が死ぬ。で、子どものときに受けたそういう経験は、けっこう克服しがたいものなのではないか。
学校で、よく外部講師がきて同和のこととかやったり、あと「青い目茶色い目」(*1)で、刑務所に行って、地域の白人と黒人の割合に照らし合わせると、刑務所に入っている人の黒人の割合が多すぎるんだけど、そこにどう、差別が影響しているかを受刑者にインタビューすることで視聴者にわからせていくくだりがある。
オーストラリアは200年くらい?建国して100ねんちょっと?国ができたころから、移民国家だから、差別・排除が生みだした悲劇は山ほど経験してきてるわけだけど、日本て、こういってはなんだけど「日本と韓国」が圧倒的で(人種・文化の面では。差別・排除といった面から見たら非差別部落がある)、しかもこれ両方とも見た目がわりと似てるっていう、アメリカの「白人と黒人」とはまた違った歴史をもっている(詳しくやったわけじゃないから、よく知らないけど)
これからもっと移民集団が多岐にわたっていくと(言い方おかしいですね、日本には簡単に移民できない。なんていうか、国際結婚とかで、人の背景が多様になっていく感じ)、今までなかったようなことが起きていくのかもしれないですね
だけど、移民国家が世界のほかのとこにせっかくあるんだから、そこの歴史を学んで、他山の石としたらいいんじゃないかと思います
多様性を尊重しようと言うが、でわたしもそう思うが、それだけじゃなくて、人間の共通したところも同時に見ていかないと意味がない。多様性と、共通性は、コインの両面なのだ。
異文化理解を教えるとき、「違うこと」だけ教えたって片手落ちで、そこから共通の価値に気付くところまでもっていかないとダメなのだ。
「多様性」と「統一」はどっちかに偏ると、揺り戻しがくるからバランスがとても難しい。多様性の尊重に偏りすぎたら国がバラバラになるし、統一に偏りすぎたら国家主義的すぎる。この、揺らぎがわたしにはおもしろくて、人生観がかわった。
ああ、現実に起こってることが、自分の脳内とちょっとリンクすると、喋りすぎてしまう・・・(しかも超適当。いいや、日記なんだここは)
*1 わたしのソウル動画。前半は小学校を舞台に、「人は、差別のスイッチを押すと、いきなり悪魔のようになる」(誰もがそのスイッチをもってる)ってことを、後半は刑務所で、「人は、差別や排除されると、心が死ぬ」 ってことをテーマにしている。どうして、NHK様はこんな動画を埋もれたままにしているのか・・・毎年、時期決めて(キング牧師の命日とか?)放送するとか、できないのか
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