Apr 24, 2013

diaspora

大学の(ざっくり言うと)スタッフ(のような人)が、人には、みんな「ナントカ背景」があるのよと言っていた。
いい話だなと思ったのに、なに背景だったか忘れてしまった。

例えば、アフリカの給食について研究している人は、いきなりアフリカのことから書き始める。論文では自分語りなど不要だからだ。
わたしは7歳のときに・・・ 
とか書きはじめる人はいない。

しかし、彼女をアフリカの給食にひきつけた、アフリカという遠い地に縁を持ったきっかけであるところの体験は必ずあって、研究する人には全員それがある。
だれも、荒川区で生まれ育って、何もないままに、「あ、アフリカの給食をかこう」とはならない。

この、書かない、アントールドストーリーが、なんとか背景。

だけど、論文書く人のアントールドストーリーは面白いから、そういうのをまとめた本がでたり、有名になった人にはインタビューが行くでしょ。
われわれは、有名でもないしこれからそうなる予定もないから、アントールドのまま、終わってしまう。だけど、身近にいると、そういうこと話題になるし、付き合っていると、いつかすごく腑に落ちる(なぜ、この人がこの分野にそう魅かれるのか)瞬間があって、おもしろい。

今日、先生のとこで資料整理のお手伝いをしていた。
先生のとこには、世界中の日本人学校・補習校から、文集とか報告書とか実践集とかが届く。それを整理しながら、スタッフの人(事務もするけど、専門知識も持っている)に
「なんか、最近の日本人学校とか補習校の子どもって精神的に安定してますよね?移住したマイノリティのつらさがまったく感じられないですよね?すごく伸び伸び、愛されてる気がする。駐在があるようないい家庭の子だからですかねえ?」
と言った。
もちろん、「卒業文集」ともなれば、いい思い出ばかりを書くものだが、そういう文集ばかりではない。補習校とかなら、普段学校でさみしい思いをしていても、補習校にいけば日本人の先生や子どもに囲まれて楽しくすごせて、それが文章に明るさとして現れるのかな?
と、疑問をもったのだ。
「そりゃ~、残るものだからよ、きっと苦労はあるわよ」
とスタッフさんは言っていたが、わたし、資料の整理してて、昭和の、わら半紙をホチキスで留めたみたいなレトロな文集を大量に(整理にかこつけて)斜め読みしまくってたこともあったが、昭和の日本人生徒児童(@海外)は、もうちょっと悲壮感があった気がするんだよな・・・。交通の便もよくなかったし、海外にいくということが、そこで住んで学校に通うということが、いまよりずっと覚悟がいったことだったからかもしれない。
もちろん、先生方、(わたしの先生のような)研究者の尽力で、学校が良くなってることもあるだろう(これは言っとかないと・・・)

それか、資料は小学校のものがメインだから、発達段階的に、適応がはやいとか・・・ 自意識とかアイデンティティとかが芽生えるのはもうちょっと成長してからだから、「わたしは何人なんだろう」 とか思い始めるのは小学生じゃちょっと早いのかな?

とか思いながら作業していたら、やっと、ひとつあった。文集を読んでると涙がでることも多い。わたしはとにかく、「人が、故郷を思って泣く」 という瞬間にめちゃくちゃ弱いのだ。アメリカに嫁いで40年。すしも天ぷらも普通に食べられるし、たまに日本に帰れるし、食べ物で国を思い出すということもなかった。けど新しくできたアジア食材のお店であんぱんを見つけて何気なく買って、一口食べた瞬間、いきなり涙がこぼれた。
みたいな話でも泣く。
忘れもしない岩波新書の『ディアスポラ紀行』の、著者の魂からのつぶやきみたいな、「世界のどこにも身の置き所がない」 「ふとした瞬間に窓から身を投げたくなる」(著者の経歴をかんがえるとまったくまっとうだと思う) って言葉とか(この通りではなかったと思う、なぜかこの本が今うちになかった)

きょう、ほんとにすばらしいな、みんなに読んでほしいなと思ってコピーとって持って帰ってきたのは、ヨーロッパの日本人学校に居る子の作文なんだけど(大人なら引用するなら出典を明記するのがマナーだが、子どもであるため、書かない。中学3年生。やはり、高校生に近いね、このくらいになると、自我が芽生えてセルフアイデンティティが確立してくるんだろう)
この子は、何かで、福島原発の周辺にすむ人の中に「避難をしない人(避難を拒否している)がいる」ということから、「故郷ってなんなんだろう」「特別な思いがあるところなんだ」 と気付く。お盆やお正月に東京から人がいなくなると聞くが、それは人々がそれぞれの「故郷」に帰っているからだ。それだけ「故郷」は魅力的なんだろうなぁと彼女は思う。でも、彼女にはその思いがいまいち理解できない。国境を超える転勤の多い家庭に育ったからだ。
「生まれた場所と育った場所が違う人はどこを自分の故郷とすればいいのでしょうか」
「プロフィールなどに必ずある『出身地』の欄、あそこにはなんと記入すればいいのか、私は毎回悩みます」。

ここからがおもしろいのだが(まあここまでもおもしろいのだが)、
「そこで、わたしは、少なくとも自分で納得できるようなふるさとの基準を作りました」。
彼女は祖母のいる日本、小さいころから家庭では日本語を使っていて日本語に愛着がある(親に帯同して海外へ行ったパターン)、アンパンマンをみて育った、日本の古い歌を聞くのが好き、などの理由から、「私は勝手に自分のふるさとは日本ということにしてしまいました」。

この子は、明るく楽しい家族に恵まれて(日本にいる祖父母含め、家族へのあふれる愛情がつづってある)、家族のおかげで、この環境をおかしいと思ったことはないし、「胸を張って日本が好きといえる私に育った」 という。
そして、「いつまで日本が好きと言い続けているかはわかりませんが」(笑・・・たしかに、いつかだいっきらいになる可能性だってありますよね・笑) (日本を)誇りに思っています。と、しめている。


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今日、ゼミで、先生が、わたしじゃない学生に 「母文化を維持することがなんで重要なの」 といった。(もちろん!先生は!わからないから聞いているんじゃないですよ!問答です!問答!)
「母文化」「母語」「故郷」の大切さって、子どもにも、肌でわかっているんだよな・・・
と、この作文を読んで思った。

「世界に身の置き所がない」と感じる気持ち、 「帰る場所が、どこにもない」 という現実。それが、どんなことなのか、わたしは自分のこととしてはきっとずっと理解できない。
メルボルンの移民博物館で、来場者がまず入る部屋では、ショートフィルムが流されている。それは、「オーストラリアの移民が、どのような原因できたのか」ということが、昔の映像や移民へのインタビューなどでわかるようになっていて、「彼ら(移民)は、来たくて来たんじゃないんだ」 という強烈なメッセージを伝えている。
なんか、人はよく、すぐ、「○○へ帰れ!」 とか移民や外国人に対して言うけど(良識ある人はそんなこと言わないか・・・。「言ってしまいそうになることがあると思うが」)それが、どれだけナンセンスでひどいことか、わかるよね。(←この移民博物館の話、わたし自己紹介するとき使ってる)

それから、もうひとつ、「真の平和」 という、RK君の作文がおもしろかった。

「平和な世の中を作るのは、思っている以上に難しいです。」
ふむふむ
「でも世界の人々、みんながひとりひとりいつも平和でいるように心がけることから始めることができたら、「平和な世界」はいつか実現すると思います。」
んっ・・・どっかで聞いたような・・・
ユネスコ憲章じゃん!!「平和の砦」じゃん(※ユネスコ憲章 戦争は、人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に、平和の砦を築かなくてはならない。)
(わたしはいっとき少し本気で刺青しようとしていた、しかし、平和の砦は心の中に築けばいいのであって、肌に彫ることもないかと考え直した・・・笑)


 

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