Aug 18, 2010

Peace Education

司書講座が楽しい。
私、読む(4.6)日に生まれた根っからの本ズキ、アートズキだけれども、整理整頓能力が著しく欠けているので、それこそが命の司書なんて、向いているはずもなく、司書の資格をとっても仕方ないのだが、自転車で15分の自分の学校で講座をやっているので、何かこう、教養の足しになればみたいな感覚でとってみた。それが思いがけずやけに楽しい。
講座の先生は科目ごとに交代するが、数日間の集中講座の中で、できるかぎり多くの良書を紹介したい!という熱意が伝わってくる。講義中にさまざまな本が紹介され、休み時間に手にとって見られるように講義室の机の一部に本が並べられ、入り口ドアには、1年生から6年生までの発達段階にあわせた「レコメン本」のポスターが貼られている。

これもそんななかご紹介のあった本。



戦争に行って帰ってこなかった画学生の作品を集めた美術館(無言館LINK)があるそうだ。その美術館を作った人の、設立にいたるまでの話。戦争になんか行きたくない、絵を描きたい、という画学生の思いがせつないほど伝わってくる。

なんとこれ、今年の6月に出版された絵本なのだそうだ。私は、平和教育・戦争の本は、長く読みつがれているだけで、新しいものなどないと思っていた。今も戦争物が新しく作られ世に出ているのは、たのもしい。
戦後長いことたつから、いよいよ本格的に風化が心配だ。私なんか当然戦争のせの字も知らないが、ここは大人のがんばりどころ。しっかり勉強して、子どもたちに伝えていかなければいけない。

戦争といえば、前に書いたかもしれないが、授業で、戦争・平和教育についての話になったとき、わたしは 「『かわいそうなぞう』『はだしのげん』はほぼすべての日本の子どもが通過するトラウマだ、強烈な悲しさと恐ろしさが子ども心に植えつけられる。そういう教材や資料はアメリカにはあるか?そういう戦争への恐怖心や悲しみを子どもに植えつけるようなアプローチの仕方はあるか?」とアメリカ人に聞いたところ 「ない」 。
「アメリカは、恥ずかしいことだが、戦争を、物事を解決する手段として(プラスに)とらえているところがあるから」 ということであった。
原爆を落とされた側と、落とした側、の差ですなあ・・・

そして恐ろしいのは、恐怖心をあおるような資料とはいうものの、いたずらにあおっているわけではなく、実際に起こったことは、本に書かれているよりずっと恐ろしかったに違いない、ということだ。

あとリスペクトしている徹子のサイトから(コンゴの内戦について)。この短い文章のさらに、「結局、戦争になれば国費は武器に使われ、子どもの生活はこうなるのです。」というところがシンプルで凝縮されていて説得力があります。
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コンゴ民主共和国へ行ってまいりました。詳しくは来月の『小説新潮』を読んでいただければ嬉しいです。内戦があり、武装勢力が少女たちをレイプし、少年に銃を持たせて少年兵にしたという悲惨な状況にあるにしても、私は5歳の少女が2回もレイプされたという現実、私はその子と半日過ごしたのですが、その子はショックで口を利きませんでした。別れ際に、「字を勉強してね、そうすれば、私たちはお手紙のやりとりが出来るから」そう言って、「私の名前は徹子よ」と彼女に言いました。そしたら、彼女は私の顔を大きな目で見てから「テツコ」と言いました。レイプされた女の子ばかりの面倒を見ているここの人たちは、彼女の名前はクリスティーナといいましたが、クリスティーナが口を利いたと一斉に驚いていました。5歳の女の子をレイプするなんて、言葉もありませんが、実は、理由の一つは、エイズに罹っている男の人は、処女と性交渉をするとエイズが治るという根もない噂を信じて、もっと小さい3歳の子もレイプされたと聞きました。また、昨年行ったシエラレオーネと同じように、8歳くらいから銃を持たされ少年兵にさせられた男の子にも沢山会いました。まだ内戦は続いています。いまでも少年兵はたくさんいて、10歳くらいでレイプされた少女は売春婦のように連れ歩かれています。ダイヤモンドや金が取れるリッチな国であるはずのコンゴが、この他にも、あふれかえるストリートチルドレン、ほとんどの人が月給ももらえないで働いている、そんな状態なのです。結局戦争になれば国費は武器に使われ、子どもの生活はこうなるのです。60年間戦争のない日本、つくづくありがたいと思いました。どうぞ、みなさんも、平和がどんなに大切か、改めて考えてみてください。

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