Dec 14, 2012

Hidden Disoder


ベッドでアスランちゃんと顔と顔をくっつけて、そのうちアスランちゃんからすぴすぴ寝息が聞こえる。
寝てるとそのうち暖房で喉が乾いてきて、起きるのめんどくさいので
"アスランちゃーん、水持ってきて"
・・・・・
"もー、アスランちゃんは、可愛いだけなんだからー。かわいー"

"アスランちゃーん、トイレ行ってきて( わたしの代わりに)"
・・・
"もー、アスランちゃんは可愛いry"
と、ゴロゴロ。

しかし、いよいよ、ガリガリ君のホワイトサワーがどうしても今!食べたい!となってコンビニにいく。
そしてピルクル500mlを一気飲み。
カルピスとかヤクルトとかが猛烈に飲みたいときって時々ある。

持ち前の集中力(笑)で、これを勉強中。もう、わたし、わたし、わたし、わたしという感じである。
わたしが異様にねむるのは脳が働きすぎてるからか!まっすぐ立てないのも…眩しい光、強い灯りに弱いのも…教習所に二年も通ったのも…(いや、そこだけじゃないけど…でもなんでわたしにはできないんだろうって不思議だった。)

しかし、二次障害で鬱を発症しやすいとはいえ、わたしは絶望的に楽観的なところがあり、こんな状況でも、
「わたしは、障害持ち(未診断)だとしたら何て恵まれた人生だったんだ!」と思う。
よく、発達障害の子どもに対して、"彼らは怒られどおしの人生だったから(普通の子にできることがどうしてもできないから)、怒らずに、理解し、支援を" みたいなこと言うけど、そしてそれをわたし自身、忠実に守っているけど、わたしは、怒られどおしじゃなかったもん。全然…
むしろ、学校じゃほめられてきたくらいだ。
勉強、今思えば実は、スペック的には落ちこぼれてたのだろうが(IQ的な?ところで)、わたしが興味もって一点集中したのが、偶然、幸運にも学校の教科になっていたから、そこだけ目立ってよくなり、落ちこぼれたイメージが自分の中に全然つかずにすんだ。(わたしを見てきた先生方は内心どう思ってたか知らないが…)
仕事も、自分に向かない分野と自分に向かない職場の体質というものががすぐわかったから、自分にあったところで働いてきたと思うし、そこまで職場の困った人ってことは、なかった…と…思う…が…わからないな、わからないけど…(笑)(きっと、誰かの見えないサポートと寛容さをいーっぱい受けてきたのだろう…)
場の空気を読めない突飛な発言も(求められなければ自分からはあんまり言わないけど)、驚かれはしても嫌われることはなかった…と思…う…思いたい…。人々は、立場問わず、発想の転換を求めてわたしに相談してくれることも多かった(今思えば)。
周囲の人からすれば、
「変わってるけど、それなりに利用価値のある人」
って感じだったのではないだろうか。
そしてそれこそ発達障害の人の社会への溶け込み方なんじゃないだろうか。

ラッキーだったのと、自分に、自分の生きやすい環境を用意するスキルが妙に発達してた、って感じか。

あ、母親には、小さいときからよくわたしのだらしなさ、いいかげんさを怒られてきたけど、親に怒られるのはまた別で、誰でもあるだろうし、母はA型でわたしはB型だから、わたしのことが理解できないんだろうと思って納得していた。
「ほんっとにわたしとあなたは全然似ているところがない。本当に理解できない」とよく言われた。でもこれ、そのままA型とB型の関係だよな。B型にしてみたらA型に驚かれ(呆れられ)るのなんて日常茶飯事すぎて全然気にならない。B型同士でこじれたときの最悪さに比べたら…
それで、なんだかんだいってわたしが(かれらを)好きで、長く付き合ってくれているのは(むこうは仕方なしにかもしれないけどw怖くて聞けないw)ほとんどA型の人だ。異文化すぎてうまくいく、付かず離れずで長続きという感じか。あと、大きく年の離れた人ばかりと好んで付き合ってきたから、わたしのいいかげんさ、間抜けさ、かと思えば神経質で鬱なところは、理解できなくても"若いから"で済まされてたこともあったんだろうな…。

と、自分語りが続きましてすみません…
まぁ自分のブログなので自分語りしかすることもないんですけど…
年明けに検査にいくつもりですが、ここまでしといて(いま、わたしに久しぶりに会う大人の友人はもれなく、"あたしって病気だったかもぉ~!"の、この上なくウザいトークが聞けます!)、脳波とかテストとかの結果

ただの凝り性でだらしない人

だったら、みなさん(誰?)に、顔向けできないわね…

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