岡崎京子のリバーズエッジが映画化されるときがきたら(でもなるべくならわたしが死んだあとにしてもらっていいですか?)
小田急線の多摩川でロケして欲しい
よくいる(中年以上に多い)、ゲイをやたら性的にしか見ない人たちにはリバーズエッジのハルナと山田のシーンを読んでもらいたい。校庭の鉄棒で山田がハルナにゲイだからって性的なことばっか聞きたがるのは失礼だ、って言うシーン。
普通なら人のそんなプライベートライフに突然踏み込んだりしないのに。
ゲイは、ただの(といってはよくないかもしれないが)性的マイノリティなんだと思うんだけど。
民族的、文化的、言語的マイノリティ、性的マイノリティ
みんな、尊重されるべきだ。
野球選手なんか、ゲイとわかったとたん、もうそれ以外のリファーがないんだよ。ほんと不健康。ゲイだからなんだっつーの?いいじゃん、他の女に取られる心配ないじゃん(いやそういう問題じゃないか…)
仕事してても、野球みてても、同じことやっててもどうしてもでてくるその人らしさがあって、いつもそういうのを見て、人それぞれの個性が愛しい。(まあそれほど出来た人間ではないので、人間が好き というわけじゃなくて、人がそれぞれ「違っている」ことそのものが楽しくて面白くて愛しい)
この前周囲に不満を持って悩める若者に、
どうしてこの人たちこうなんだろう、こうなればいいのに、ああなればいいのに、って思っちゃうのはすごくわかるけど、人は変わらないし、思い通りに動かすことは出来ない。
その人たちとどう折り合っていくか、こっちも折れることと、でも周りに流されるんじゃなく、自分を見失わないで、どんな環境でも目標を絶対忘れないこと、これができないと、なにかあったときに人のせいにしてばかりの人間になっちゃうからね
と、話した。
(それと、人間のクズの根性叩き直すのは別の話。それは道徳レベルの問題だ。特に大人の根性腐ったやつ。19歳以下の子どもは、そうなった環境の中に必ず何かあるから、必要なのは叩き直すことではなく支援)
いじめ自殺、うわーっと報道して来年だれも覚えてないということがないといいな。
いじめがなくなるとは思ってない。人が2人揃ったらたちまち、そこに権力の構造が生まれるという。
おきたいじめを分析したら(詳しくないのでわかりませんが)そこには、たまたまその環境にあったからそういう行為をした人も少なくないと思う。
そういうときに、自分の道徳レベルでどこから許せないかみたいなのをしっかり持って周りに流されないこと、それは、自分を大事にすることでもあると思うのだ。
話かわって
このまえ、ディスクガレージからzazenのチケットが届いてさ、いま、いつだっけって確認したら来週でやんの!
すんごい先と思ってたのに!
(間に合わないかもしれないけど、自転車に貼りたいので、リキッドで、物販、光に反射する?夜光る?ステッカー作ってもらっていいですか?
よろしくお願いします☆)
タマリバーズエッジ。
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