ずーっと働くのが嫌いで、人と出会えたり成長したりいいこともなくはなかったが、就業時間が早く終わることだけを待つ一日一日で、常にはやく金曜日になれと思っていた。
ある日、わたし…もしかして…65歳まで働くんだ…!って悲愴感に満ちた覚悟をしたとき(人生ではじめてまともに現実と向き合った瞬間か?!)、これじゃダメだ、こんな風に魂売りながら65歳までやり過ごせない!自分のままでいられて、あんまり演技とかしないで済んで、働いてると思わないような、気づいたら給料日がきてたみたいな、生活のためと割り切らない仕事につかなきゃダメだ!と思った(ホントに仕事がイヤだったんですw)。
いつも仕事のことで頭がいっぱいで、かつ、それが苦痛ではない みたいな状態にしないとと思った(いつも就業時間が終わったら、仕事のことなんかさっさとわすれて自分に戻らなきゃやってられなかった)。
で、消去法で職業を決めて(このときとっくに大人で、身の程をよくわかっていたので、自分の取捨選択、判断にはある程度、信憑性があった) 、そうなるための道筋をさっさときめて、必要な知識と資格を耳揃えてキレイに準備して(気が遠くなるくらい時間と金がかかったけど)、そして、その仕事についた。
で、いま、寝ても覚めても仕事のことで頭がいっぱいで、それが苦痛ではない。そういえば、こういう感じに憧れたんだっけなぁーとちょっと前の自分を思い出した、ので、このエントリを記念に書いた。
(だけどやはり休みが待ち遠しいし、長時間拘束はイヤだ。)
初めての、魂を売らない仕事だ。魂売る仕事はとにかく、魂が磨り減る(売ってるんだから当然だな) 働くってそういうもんだと思ってた。(岡崎京子も「すべての仕事は売春だ」って言ってたし…)で、仕事のあとズルズル体を引きずって学校にいき、学問からパワーをもらって、なんとかやっていた。(学問は魂に良い…。乾いてヒビ割れた地面に降る雨のようだった。マジで)
で、いまの仕事だけど、魂を売ってないから魂はすり減らないが、体はつかれるし、どうでもいい仕事だからこその要領いい立ち回り(はいはい、謝っときゃ丸く済むんだろ的な)ができなくなった。ある意味お気楽だった今までと違って独り立ちして責任があるぶんプレッシャーもあって、ついタバコに手が伸びる(10年くらいやめてたのになぁ)。
でもまぁ、やっぱり、イヤイヤやる仕事よりはだいぶマシな気がする。
自分の理念を、現実の現場ではすぐにはどうしても実践できないジレンマをすぐに感じたが、その「現実の現場」に立つどころかそれが存在することさえ知らなかった(しかもその期間が気が遠くなるほど長かったバカなわたし) 今までにくらべたらまぁ一歩進んだから、納得している。
Blogger にうつる前、長いことFC2でやってたミユログの、サブタイトルは、Where is this all leading? だった。わたしの20代の迷走や、地に足のついてなさがもうこれ以上ないってほど的確に表現されていて、ていうかこの一言にすべて集約されてて、そんなに考えて意識的につけた覚えもないだけに、他人事のように「人って結構、自分の居場所を自覚してるもんなんだなぁ」と感心した。
leading?ってことは、行き着く先がどこかにある(ということをうっすら自覚している) ということでもある。
しかも、その前なんて、わたしは2004年くらいからミユログ書いてるけど、サブタイトル変えたの1回だけで、これの前(もっとずっと若い頃)は、
my mind is ready to flow
だったのだ(!)
どう、このフラフラ感(笑)、地に足ついてない感とそれを自覚してない感(笑)迷走すらまだしていない。
これもまた、当時の自分を集約した一言で、我ながら感慨深い…。
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