Mar 11, 2012

Came to realize a hundred times

近所の中学校で、二週間短時間のバイトをした。
私の大学は教育大なので、院の中には在学中からがっつり学校現場に入っている子も多かった。だいたい、院の子はガチで教員目指してる子(教科や日本の、いわゆる文科省的な教育の研究したりしてる子に多い)と、もっとこう哲学的(?)な子に分かれる。私のいる領域は地域研究(それぞれ世界にフィールドをもち、そこの教育政策や実践をみてく)色が強い。つまり後者だ。何度もでてくる私の一番のお気に入りの院生ちゃんは、学校は何のためにあって、本当に必要なものだろうかみたいなことをタンザニアを事例にずっとやってた。
私は学校教育が好きだけど、生身の子どもに対して入れ込みがあまりないように思えて(子ども自体がほんとに好きな人はほんと好きだもんね。生の子どもが) 院の間、学校で働こうとは思いもしなかった。
塾も私の理念に合わない気がして、子ども経験値があがるだろうけど、ここ十年以上やってない。
二週間、職員室につめてると、いろんなことに気づく。専門的な勉強をした分、教育実習(6年前…!)のときよりずっと多くいろいろ感じた。先生方のつぶやきひとつにしても、学校で習ったいろんなことが思い起こされて超おもしろかった。
調査でオーストラリアの学校も見せてもらったけど、まず、職員室の様子が全然違う。あと、高校時代留学してたときのカナダの公立高校の職員室も、当時ボランティアで通ってた小学校の職員室も、日本のそれとは全然違った。
日本の先生の生徒との近さったらないね。あと、すごい真面目だよ。いろんなこと知れば知るほど日本の教育はすごいと思っちゃう。職員室で、みんな、生徒の話しかしてない。
海外(欧米しか知らないけど)だと、先生はもっと人間なんだけど、日本だと、先生はあんまり人間じゃなく先生なの。そうとしか表せない。(なんか私は先生に興味があるようで(それも、生身の先生というよりは、抽象的な)、一月にオーストラリアの政府の人にインタビューしたときも、教員研修とか(ある政策に対する)教員の反応とか教員の使う教材なんかのことばかり聞いてきた。)

そうだ、バイト中に、都立の発表があって、職員室に生徒から電話がかかってきて、先生の対応聞いてたら泣きたくなった。

なんか、
「気持ちを切り替えてな!雪だから気をつけて帰りなさい。」
とかさぁ…
幸せだよなあぁ… 義務教育がかなり徹底してるって…
親がかなりアレだったとしても、確実に、学校にくることができればそこに先生はいるんだから。セーフティネットだ。ひどい親の元にうまれて(でもだいたいそういう親も親に恵まれてない)でマイナス10くらいの子が、先生に恵まれてマイナス8くらいになるかもしれない。マイナス9が犯罪や自殺のラインだったかもしれないじゃん。
これからは義務教育の年齢なのに不就学という、外国人児童生徒の直面している不公平さをなんとかしたいですね。彼ら、好きで来ているわけじゃないのにさ。なんらかの事情があるのだ。現状、当たり前だが外国人には憲法が適用されないから、国民の義務「子どもに教育を受けさせる義務」もないわけだ。かといって学校にいっても、言葉の問題で辛いだけという。国民のための国家だから教育が国民のために作られていて(国民仕様になっていて)それは当然だが、憲法とかと別にすべての子どもは教育をうける権利があると思う。

あ、あと、先生語録で新鮮なのは「他のクラスは授業をやってるんだから静かにしなさい!(ちゃんと理由を説明してからおこる)」
とか、
社会であまり聞かないよね、言わなくてもわかることだから。でもまだ子どもの人には、きちんと言わないといけない。おもしろい.(この感じつたわるだろうか?) 差別はいけませんとか、規則正しい生活をしましょうとか、ともだちをたたいてはいけませんとか。
だいたいの人は、子育て中にこのプロセスを通過するんだろうな。

いやー、それにしても、子どもかわいかったな…
よく、どうしようもない親でも虐待する親でも、子どもにとってはおかあさん(おとうさん)で、理屈じゃなく好きだからかばったりする話あるじゃないですか。ああいうののライトなバージョンで、ほんとは子どもたちはデフォルトでは自分の先生を好きでいたい、かかわりたい、構ってほしいっていうのが、行動のはしばしからうかがえて胸がきゅんとした。
私、教育実習の最後の反省で、自分が授業の組み立てと進行ばかりに夢中になって、授業外で生徒と積極的にかかわろうとしない傾向にあったことを実習ノートに反省として書いた。最後のほうで、「あれ、もしかしてみんな私なんかとも関わりたいのかな」と思ってより話しかけたりたり自分のことを話すようにしたりしたら生徒が喜んで、それがけっこう意外だったこと(私自身は生徒時代、実習生にまったく興味なかったから)を思い出した。
そんな中、廊下に貼ってあった市内の学校だよりに書いてあった保護者アンケートの保護者の記述「子どもはみんな、先生となかよくしたいと思っているんです」みたいな言葉が胸に響いた。(当たり前?でも私は生徒時代先生と仲良くしたいと思わなかったから)
ちょっとしたエピファニーの瞬間だった。
ほんと、自分の基準で物事を判断してはいけませんね。

あ、それと、卒業式が近いからだけど、道徳の練習に歌の練習してたのはショックで学校のみんなに連絡した(笑)
だけど、それをみてたら、パートごとグループに分かれてそこにリーダーが自然発生し、自治的な活動が行われており、これも道徳の領域だと思うことにした(笑)

あと、英語の採点をしてて、be動詞と一般動詞の区別がついていない、一文に動詞はひとつしか入らない原則が入ってない( 中3時)子の多いことにショックをうけた。これじゃ、三年間、さぞ、英語の時間つまんなかっただろうねぇ…
伊集院さんの、深夜の馬鹿力のPodcastによくでているオテンキののり君は、柔道で大学までいったから、大卒だけどつい最近までローマ字で自分の名前を書くことができなかったそうだ。
学校って集団行動だから、のり君がローマ字を習得しbe動詞と一般動詞の異なる性質が明らかになるまで待ってから次に進むなんてことは不可能だ。
私の先生がニュージーランドに調査にいったら、その(視察した)学校は決まった年の誕生日がきたら入学するパターンで、入学が五月雨式だから学習の進度も当然バラバラで、みんな違ったことしてたそうだ。(公文式みたい…) その発想はなかったわ!と驚いたが勉強って積み重ねだから、be動詞がわかんなければ受け身も完了形もできるわけない。そこで、わかるまでとまらないとその人は進めないのだ。そう考えるとニュージーランドのその方式は合理的だ。結果、最終的な進度はかなり個人差がありそうだが、三年間be動詞で立ち止まってるよりは進めるだろう。

私がバイトさせてもらったところ、中学なのにあんまり荒れてなくって、よく現職の先生方は荒れた学校勤務時代のことを振り返って「あれで鍛えられた」とかいうから、荒れた学校も見てみたいな。(見るだけ…)
そういえば某自治体に講師登録したとき、「生徒に多様性があるから定時制にいきたい」といったら担当の人に二回聞き返され、驚きを隠せない感じだったのだが、あれは、荒れてるからなのかな。それとも勤務が夜だからなのかな…私は夜働くの全然オッケーで、いまも夜バイトしてるが、夜をやりたがる人がほんとにすくなくて、なので私みたいなのでも重宝されている。

あーあともうひとつ、ひとクラス40人はおおすぎると思う。30人でも多いよ。日本は先進国のなかでも群を抜いて政府が教育にお金をかけない国だそうだけど、こういうことかと実感した。
大学生にもなれば、講義に100人いようが構わないけどねぇ。

長くなっちゃった。つまんないエントリーで失礼しました。


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