「教科書の比較してみたいなー」「でもそもそも言語が日本語と英語(ほんの少し)しかわからないしな」「月曜日、図書館で「市民科」(品川区の学校で行われている教科)の教科書見てみよう」 と思いながら、『エミール』(岩波文庫)を買いに寄った吉祥寺の啓文堂で、平積みされていた新刊のコレを発見、購入。(文が長い)
<アマゾンより>
読解力で15位急落の日本人。世界に学べ!
「極端な平等主義・アメリカ」「色っぽいフランス」「文豪養成教育・ロシア」「登場人物も国際化する中国」……など、国語の教科書から浮かび上がる各国の「理想」「信条」「現実」。世界の小学校4年生は誰に憧れ、何を読み、どう育つのか? 教育研究者11人が参集した、初めての「世界の国語」紹介。
世界学力調査で日本の成績が下がっている理由が、楽しみながらわかってくる。
商品の説明
比較・国際教育学の第一人者。
1945年、鳥取県生まれ。米国・コネチカット大学留学を経て広島大学大学院を卒業後、文部省大臣官房調査課、広島大学教授、同大副学長に就任。現在、放送大学広島学習センター所長(広島大学名誉教授)。比較教育学の第一人者として、多くの研究者の中心的存在。『世界の学校』二一世紀の社会と学校』など著書多数
読んでみて、「安い(本の値段が)」と思いました。世界の国語の教科書を比較しているのですが、それぞれの国(章)を専門家が書いているし。一般向けだから語り口やさしいし。その国ならではの特徴が、「国語の教科書」という視点を通して、よくわかるし。
「比較教育学」ってなんなんですか? と、この間、「世界比較教育学会」から帰ってきて、私は先生に言った。
日本人がほかの国の地域研究をしたら、それは「比較研究」になるのか。(そういう研究がほとんどのように見えた)
日本人の目を通しているということで、それは「比較」になるのか、と。私は、「比較」って二つ(以上)のものを比べることかと思っていたので、不思議だった。比較の先生に、「比較教育学ガイロン、ニュウモン、みたいなので名著と言われるものを紹介してください」と頼んでみた。(ああ、こんなことウェブに書いちゃって恥ずかしいなぁ。こんなの学部のときに通過してないのって感じですよね)
比較して、こういうことがわかった。見習おう☆
みたいなのが比較教育学なのかと思ってた。
すると、このやりとりをきいていた、この先生の研究室の院生(研究室は違うが、コースは一緒なので授業でよくかぶるし、研究室同士が親戚みたいなもの)が、先生の論文のコピーを見せてくれた。比較教育学って、「自分とこより、進んでいる国のことを勉強して、見習おう」みたいなものにとどまらない。というか、そういう時代じゃないみたい。先生はインドの教育の研究をしているのだけど、この研究をしていて、「どうして」インドの研究をしているんですか?と聞かれなかったことがない、のだそうだ。これが(研究の対象が)欧米であれば、「どうしてまた(インドを・・・)」とは誰も聞かないだろう、と先生は書いていた。
わかったような、わからないような。
外国人の何気ない一言、素朴な質問で、はっとすることがある。これをもっとスケールを大きくしたような、そういうことなのかな。
学会のランチテーブルで、もうリタイアされているが超偉い人とテーブルが一緒になり、もちろん私は不勉強で存知あげなかったのだが、一緒にいた日本の大学の留学生(複雑だ。日本の大学院生だけど日本人じゃない)が、耳打ちして教えてくれて、その人は「比較教育学」の偉い人なわけで、その人を囲んで話しているうちに、「比較ってそもそもなんなんだろう!!」とおもった。でもその偉い人にまさか「そもそもそれって何なんスか?」ともきけないので、国に帰って自分の学校の先生にきこう、と思った。で、話は変わって、この本のほかに
買ったのは、これ。(と当初の予定通り、『エミール』)
この人は、猫まんが雑誌で知ったのだが、じわじわおもしろくてすっかりはまってしまい(あとその猫がアスランちゃんみたいなフッサールでかわゆい) 気がつけば、猫マンガ、エッセイマンガと単行本がそろいつつある。
マイ・ソウル漫画家、岡崎京子の本ですら、一冊もないマイ・アパートメントなのに。(『女のケモノ道』くらいはおいて置くか。)
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