Jan 2, 2013

Tree of Life

論文の何がいやって、興奮したときに1人でかかえこまなきゃならないこと。
辛いのは1人でなんとかなる、というか1人で抱えたいが、興奮は誰かと分かち合いたい。
学校にいきたくない時、よをはかなんだとき、誰にも会いたくないとき(..最近いつもだ…)マドンナの歌のようにわたしにはよく行くsecret hiding placeがあるんだけど*1、そこ、冬は閉まってる。静かに興奮して、誰にも言えないけどでもそれを1人で受け止めきれないこんなときも、緑の芝とスコアボードと空で風にゆれる旗が見たくなる。

わたしの学部のときの先生は見るからにぼんぼんで、詩を嗜む文学青年だった(まぁ、それが仕事になってるんだから飯の種だが…)
それをみて、あと先生のお部屋の本棚を一瞥して
「文学なんか、しょせん金持ちの道楽だな!育ちの悪いわたし(のわりに道楽者)には無理だ、これじゃ、食っていかれねえ」
と思って、文学の道はあっさりと諦めたのだが、腹も膨れぬお勉強(なんか、実用的なのじゃなくて、人類の叡智とか普遍的なものとか、とにかく、腹が膨れないロマン系…つくづく、わたしには生活力や経済力がないのだ)の道をどうしても諦められず、
一生勉強だけして暮らしたい…
わたしが勉強することで、周りの人の利益になるというそんな都合のいいシステムはないものか…
と、足りない頭で考えて今に至る。
一生勉強してていい仕事…
(それは研究者だが、わたしのスペック、足りない頭では今世では無理なのだ)

他の仕事で何が羨ましいかって、たとえばわたしはプロ野球選手が羨ましいと思うのは、とりあえずの勝負はそこでついて、瞬間、喜んだり悔しがったりを人と分かち合える。
わたしたちは、例えばアイデアが閃いて指導案作って、やってみたら成功した、楽しかった♥っておもうけど、アイデアが浮かんで指導案書いている、つまり興奮のピークの瞬間は1人なのだ。
論文も、あーーーこことここが繋がるの!!っていうピークの瞬間は確実に1人じゃん。書いてからじゃないと人にも見せられないわけだし。わたしの書くものが人を興奮させるかというと、それは100%ないだろうが、たとえ誰かとわたしの考えたことを分かち合えたとしても、その時点で興奮のピークはとっくにすぎている。

この間、ほん吉で買った政治哲学の本の中で、政治哲学なんて遠い、遠すぎるとおもって、でも読んでみて、ああ、この人のこれ読むべきだな、買おう…あれ?これ、どっかで聞いた名前。読んだかも、ていうか、うちにあるじゃん!っていう、なんか、そういうふうに繋がった瞬間とか、なんかすごく大きな世界に(叡智の世界)足を踏み入れた気がしてそれは壮絶な(?)気持ちよさなんだけど(脳内麻薬でる)、1人で悶えてるしかない。

まあ、頭が冷えて考え直したら、世界の偉大な哲学者はきっと10人くらいしかいなくて、どんな分野のどんな勉強してても、たどってけばそれらの誰かに遅かれ早かれ辿り着くようになってるだけなのかもしれませんけど…
ていうか、そうなんでしょうけど…

脳内麻薬でおもいだしたが、福袋、わたしは生活の木で買った、エッセンシャルオイル16本組!!
これで一万円。
箱あけて、バイト先の姉様と一本一本嗅いで、ふわーっとトリップしてて、
「これが法に触れるものでなくてよかった…」
「これヤバイ!(1mlの小指の先くらいの瓶に入ってる"アブソリュート"…) イケナイものみたい!末端価格にしていくら…みたいな…ニュースになるような…」
「宝の山だねー!」
とかはしゃぐ。
わたしはティーツリーとユーカリの香りがだいだいだいすきで、そればかりをなくなったら補充、って買ってたけど、これだけあれば、ブレンド遊びもできますわ。贅沢!
猫(可愛い)がいるので、むやみに焚けないから、重曹と塩で入浴剤にしたり、練り香作ったり、洗濯するときいれたりするのに使う。

*1
This used to be the place I ran to
whenever I was in need of a friend

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