Jan 3, 2014

Children and the nation

大人になりきって教育や学校の現場から遠く離れた人のすら教育批判はだいたいが的を外れていて、たとえばぴーちゃんにしても、批判するには勉強が足りてないって思わなくもないのだけど、大人になりきって子どもの頃のこと忘れてると思われる人たちが自分なりに、この国の子どものことをあれこれ考えていると思うと、心が温まる。
子どもは、ピントがずれてようが、心配されて、その人のその人なりの思いを注がれるほうが、武器がわりに兵隊に入れられたり年齢が一桁で売春婦にされるよりずーっと世の中に希望が持てるに決まってるもの。
子どもだけじゃなくて、人はみんな尊重されるべきで、ちょっとくらいその方向がずれてても、底の部分に愛情があればまあそれは大丈夫だと思う
例えば政治的に偏った思想を教えるのはもちろんダメだけど、ちょっと偏っていたって、偏ってない人なんていないし、その偏りは、ある種の人々が思うほど絶望的な状況に子どもを教育しないと思う。
大人が思うより子どもは自分の頭で考えて、同じ教育をうけたってそれぞれ違った風に育つ。
なのであんまり、こう、むきにならなくても大丈夫
日本の子どもはたまたま生まれた家庭に恵まれなくても、社会と学校で大事にされてて、子どものうちに大事にされることがどんだけ必要なことか…
と、あれこれ見るにつけ楽観的な感想しかでてこない。
わたし日本て国がだーいすき
これからも、こういうふうに絶望的な楽観主義者のままで人生終えたい。
それをずっと、こう、わたしをそうさせる国でありますように。
お上のみなさん、たまたま幸い健康なので頑張って働いて税金おさめるからね、分業して、ただでさえ平和な国をさらにうんざりするほど平和な国にしようではないか…

最近やけに政治に傾倒する友達と政治と教育について熱く語ってて(ネットとか、知らない人とは絶対にしないと決めてるこのイシュー)(知らない人とは食べ物と旅行の話をする)、
途中で、わたしたちみたいなろくでもない人間が何いっても変わらないわねみたいな方向に当然行くんだけど、いいか友、そーゆう問題じゃないんだ、キング牧師は不倫してた(と言われてる)し、ルソーは自分の子どもは捨てた(と言われてる)んだぞ。
歴史を変えるのはいつもただの人なのだ。ちょっと勇気のあるただの人
見ろ、ローザパークスを

軽くってやんなっちまうぜー


一緒に歌った友達メンバーの知り合いだった(笑)


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