May 7, 2010

SCHOOL

今日は、英語教育の授業で、フードインダストリーのドキュメントを見た。何本かの真実暴く系のドキュメントを見て、どのようなテクニックが使われているかを考察する。たとえば今日見たのは、肉。大手のフードチェーンとファーマーの関係(ファーマーは奴隷のように使われる。大手の言いなりになると、設備投資の借金ばかり増えて、投資を回収するために、悪い条件下でも働き続けなければならない状況になる)とか、劣悪な環境で無理に育てられる鶏(胸肉が売れるからと、胸が異様に大きい鶏を作り出した。100年前の鶏と、胸だけの大きさが二倍くらい違う。また、育つスピードも、100年前の鶏の二倍の速さで育つ。そして出荷。胸が大きすぎる鳥は、自分で自分の体重を支えきれず、すとんと前につんのめって転んでしまう)とか。

よく都市伝説で、KFCが工場で育てている鶏は7本足だとかいいますが、ああいう感じだ。
競馬は虐待と思うし、フォアグラの育てられ方もあんまりだ(ホースで無理やりえさをのどの奥に流し込む)。競馬はやらないしフォアグラも食べないけど、鶏は・・・ 鶏は食べちゃうよなあ・・・
私は肉を「食べる」のはいいと思ってたんだけど・・・ 毛皮のように、「飾る」ために動物の命をとるのはあってはならないけど、食べるのは自然の摂理なんじゃないかと・・・
でも実際映像を見ちゃうとね。うーん。

それから別の授業では、デューイ「学校と社会」をやっている。王道です。
私は「王道」という言葉が大好き☆ 長いものに巻かれろ体質です。ビバ・アメリカ☆(あ、今はもう ビバ☆中国 ですかね) 
巨人・東大・○○党。

で、デューイですけど、この人がね、いいこというんですよ!!

「学校での課業が単に学課を学ぶことであるという場合には、相互に助け合うということは、協力と連携のもっとも自然な形態であるどころか、隣席の子どもが当然やらなければならない義務を、その子どもがひそかに果たさなくてもよいようにする努力なのである。」

確かに・・・!! 対しまして、

「活動的な作業が行われているところでは、すべてこれらの事情は一変してしまう。ほかの子どもを援助しようとすることは、かえって手助けを受けたものの力を失わせてしまうような一種の慈善行為ではなく、むしろ助けられる者の力を自由に発揮させ、その者にやる気をいっそう起こさせるような援助にほかならないのである。」

要するに、数学の授業で答えを耳打ちしたりカンニングさせたりしたら、そういう形の援助を受けた子にとってマイナスにしかならないが、活動的な作業においての援助は、そうではないと。なので、学校は活動的な授業をどんどん取り入れると良い、ということですね。
私は先生一人が講義するタイプの授業があまり好きじゃなくて、そういう授業ではついつい内職ばっかりしてきた。デューイのいう「活動的な作業」は、機織りや料理かもしれないが、授業の中での活動的な活動として、グループワークとか調査ものとか、担当決めてプレゼンしたり、そういう授業のほうがおもしろくて好きだったな・・・
とくに通信の大学のときは、あらゆる年代の、あらゆる仕事(立場)の人がいて、学生によるプレゼンありの授業は本当に楽しかった。教職の授業で、ただひたすら順番に模擬授業をやっていくのとか。おもしろかったなあ・・・

No comments:

Post a Comment