Sep 26, 2011

School Festival


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学芸大の附属の、国際中等の文化祭に行ってきました。見たかったのは「個人プロジェクト」っていう、卒論+卒業制作 みたいなプロジェクトの成果(中間発表)。おもしろかった~。
あかずの踏切を解消するためのダイヤ作り(多分…)とか、ケーキが膨らむ論理、色が人に及ぼす心理的影響…(こう書いてるだけでも凄くない?!)
そのプロジェクトについてのポスター発表や、現在勉強中のノートなどが展示してあって、どれも宝物に見えました。

こういう、ひとつのテーマを突き詰めていく勉強方法って、概要をさらっとやるよりも、よっぽど概要も身につくと思います。勉強はみんな突き詰めていくとつながっているので。前、帰国児童生徒のセミナーで、日本の子と帰国児童生徒の勉強方法の違いについて話していた先生がいて、たとえば「江戸時代について」みたいなざっくりしたレポートを書くと、日本の子は、江戸時代の概要のレポートをしてくるのに対し、帰国児童生徒(海外で教育を受けた日本人の子ども)は、自分の興味のあるところ一点にしぼって、レポートをまとめてくることが多いそうです。たとえば、江戸時代の人はどんな服を着ていたのか、素材やデザインはこうで…とか。

こうするとまた「受験があるから(概要暗記的な勉強は)しかたないな…」とか「個人プロジェクトも、だるいな~受験勉強したいのにって思う子もいるだろうな~」と思ってしまいますが、この卒論的なものを高校生でやるのって、計り知れないアドバンテージな気がするな~。
大学生になったら、そして社会人になったら、一点にしぼって、調査して、まとめる ってこのことだけをずっとやるわけですもんね。会社に入る人なら、その時点で「一点にしぼってる」わけだし。

この学校、ほんといい学校で、私も何回かお手伝いにおじゃましたことがあるんですけど、まず、教育理念がすばらしい!!(教育理念がすばらしくない学校もあまりないとは思うけど…)

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学校像
多様で異なる人々と、共生・共存でき、進展する内外の国際化の中で、活躍する力を持った生徒を育てる学校

教育理念
1.グローバルな視野の育成
2.多文化共生の教育
3.多様性と共通の価値・ルールの確立
4.社会参加を通した市民性の育成
5.基本的な知識・技能の習得と特色ある中等教育カリキュラムの開発


教育目標
1.世界に生きる学力と教養を身につけよう
2.多様な表現やコミュニケーション能力を育もう
3.知・心・身体のバランスを大切にして成長し続けよう
4.多様性の意義を認識するとともに,寛容性・耐性(トレランス)を育もう


育てたい生徒像
1.現代的な課題を読み解く力を持った生徒
2.知識とイメージを自分で再構成する力を持った生徒
3.対話を通して人との関係を作り出す力を持った生徒
4.異文化への寛容・耐性を持った生徒
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完璧!!
最高!!
作ったのだれ?!
って思ったら、私たちの中ではレジェンド、その辺を歩いているのに出くわしたらハッピーになる、挨拶できたものならたちまちモチベーションがあがるという伝説の人物でした。(みんなの先生的な人)
よく考えたらまあその人しかいないんですけどね。

さて、で、バイトもあるのでさっさとおいとましたのですが、この写真のね、パンフレットなんだけど、Special Thanksのところが、青春炸裂してて胸がいっぱいになりました。若者の「今」があふれてる。感動。

抜粋すると、先生や事務の人、司書さんなどへの感謝が個別につづられたあと、

6時間以上居座らせてもらったガスト様 同じくサイゼリア様 パソコンとデジカメとケータイ USB イラストレータとフォトショップとペイントおよびこれらを開発してくれた人 チャットとSkype およびこれらを開発してくれた人 冷水機 自動販売機 W200教室 W300教室 表現活動室 国際教養学習室 美実室および捕食たち 学校のコピー機およびインク 我が家のプリンター おそらく数千枚は消費したであろうコピー用紙 ScFで使った学校の物品たち とくに筆と刷毛 絵具でさんざん汚された学校の床と壁 何回使ったかわからない校内放送のマイクとスピーカー 段ボールたち ガムテープたち 絵具たち 走りすぎて壊れたサンダル×2 私たちの血をいっぱい吸っていった蚊たち そしてそいつらと戦ってくれた虫よけスプレー 学校周辺の野良のミケ、ロバン、トラ、ハナグロ N201にあらわれたG そしてそいつをやっつけてくれた事務室のスプレー 参加団体でいろいろあったときに励ましの声をかけてくれた5年生(※5年生=高2)ふがいない私に付き合ってくれた実行委員のみんな おかあさん 家族

(このあと、業者への個別の感謝、来場者への感謝がつづく)

なにげなくパラパラめくっててこれが出てきたので、軽く衝撃でした。


このパンフの表紙、なんか何かを思い出すと思ったら、コレだ。




それで、帰り道、「いい学校」を見たあとにいつも感じるなんかモヤモヤした感じをひきずる。
いい学校に入れるか、入れないか、って大学入る以前の子どもにはどうにもならないところがあり、ほんとに、「格差」だなぁ~と。
一度、何かの行事でお母さんたちが集まってるところに出くわしたことがあって、その時のお母さんたちの華やかなことといったら、まあすごくて、一緒だった先生に「こんなところで働くの怖すぎ~!!(お母さんたち)こわ~!」とか言ってた記憶があります。(バカ)
つまりは、いい教育を受けられるのは選ばれた家庭の子たち って感じで、なんか、平等じゃないんですよね~。やっぱり、いい教育しようと思うと、お金がかかるもんなのでしょうね。
(私は今、払っている学費の何倍ものものを得ているという実感がありますが、それは、「自分で勉強できる」ようになってからの話だと思います)

話は飛んで、DQN親のことがニュースになったりすると、憤りのコメントがすごくついたりしてて、ほんと、その通りなんだけど、もうちょっと実際何かできないものかと思う。親がDQNってだけでどんだけその子がハンデ負うことか…。まあその親の親もDQNだったりして、知れば知るほど何も言えなくなっていくところもあるけど、たとえば荒れてる子がいて、一方、こういういい学校にいってしっかりした教育を受けてきちんと育っていくいい子がいるとして、やっぱり大人として前者に眉をひそめ、後者をかわいくおもってしまうかもしれないけど、その子どもそのものが、素材がそっくり入れ替わったとして、反対の家庭環境になったらどうなってたかってことですよね。
まあ今の日本の識字率とかを考えると、親のDQNを乗り越えて大学まで行けるチャンスはあるので(奨学金使ったりして)その辺まだ恵まれてるとは思いますが・・・

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