Oct 20, 2010

Education History

教育史も知らなきゃいかんだろう、と、歴史っぽい本を読むんだけど、私、歴史は苦手、いつも、イライラしてしまう。
戦前にすでに素晴らしい人がいっぱいいて、素晴らしい思想も豊かにあって、いい本とか教材になりそうな資料とか、芸術作品とかもきっと豊かにあったのに、戦争で、有能な人材も貴重な資料も、死んでしまって燃えてしまった。もー、私はこのことに、取り返しのつかない気持ちになってイライラするのだ。
あ~、ほんと、戦争ってなかったらよかったのに~。私、平和ってすごく大事だと思う!当たり前だけど!

これを、学校でいろんな人に言っては、「歴史にたらればは通用しません」とまっとうな返事をいただく昨今。

そして、日本の教育史について、句点(。)なしで、一文で言うと、こういうことなのかな。

「江戸幕府が崩壊して、欧米列強諸国の脅威にさらされていた日本は、軍事力と経済力を高めることが急務であったので、国を高めようというモチベーションの高い人たちが明治維新を起こして、富国強兵政策をして、同時に教育も大事ってことになって、福沢諭吉の思想に影響されて、国民すべてに平等に教育を受けさせることにしてこれを学制といい、これは、諭吉の平等思想でもあり、今までだったら教育を受けられなかった層にいる有能な人材を国益に結び付けようという人的能力開発の面もあり、そして、その時代重視されていたのは、諭吉がアメリカかぶれだったこともあって西洋的な実学主義だったのだが、そのうちこのやり方では修身が足りないと批判が出てきて、学制に変わって教育令が出され(1879)、教育令では、修身が筆頭科目だった、儒教主義的な道徳教育が重視されていた一方、文部省ができて初代大臣の森有礼が学校令を出し、系統的体系的な教育が導入されたが、森が暗殺され、1890年に教育勅語が発布されて、徳育に重点をおいた国家主義へと大きく動いて、修身がさらに重要視されたのだが、太平洋戦争に負けた日本は、GHQの占領下におかれて、今までの国家主義の教育はできなくなってしまって、教育勅語は失効し、修身が停止し、アメリカに習った「社会科」の授業で地歴公民をやることになって、アメリカ的な、児童中心、進歩主義の教育が広がり、大幅に教育内容が改革されて、そのうちアメリカは国際情勢の変化から日本を「旧敵国」から「友好国」「同盟国」をランクアップしていって、モノが言えるようになってきた日本はまた修身(道徳)の授業をやりたくなってきて、社会科をめぐるいろんなもめごとが起こっていて、政府の思惑と教員の抵抗が激しくなった時代があったりするなか、高度経済成長をしながら、時代は1960~70年代へと移り変わり、ベビーブーマーがいて、高校の進学率があがって、詰め込み教育が生まれ、非行や落ちこぼれが現れ、ゆとり教育、生きる力、中曽根、低学力問題、PISA、国立大学法人化、異文化混交、国際化。」

じゅげむじゅげむみたい(笑)

先生が、ある分野での事典を作るメンバーになっているのだが、「○○(先生の専門)について、500字で書けっていうんだよ。無理だよ!」と言っていた。わかる気がする。

逆に「当事者」とか「専門家」って、知りすぎているからゆえに、何も言えなくなってしまうこともある。知らないと、批判が饒舌になる。ということがあると思う、最近。

段階にすると
「何も知らないから、マスコミなどの情報をうのみにして、批判だけをする段階」(でも、変えよう、変えたいという意識、意欲がみられる)

「ある程度、そのことについて知ると、批判できなくなってくる。かといって、どうしていいのかわからない。」
(ここで、いったんスタート地点より後ろへ下がってしまう。)

「包括的、総合的な視野から、やるべきことがわかる」

「実行あるのみ」

こういう段階があるような気がする。

###についてよくないからやめるべきだ。
よくない理由はこれこれこうだが、でも、じゃあ代わりになにができるのか。何もやらないよりは、###だってやるだけましだ。

###よりよい方法を見つけた。

こんな感じで。

いいです。すみません。ひとりごとです。

今、自分のテーマに矛盾があることがわかって、スタート地点から後ろに下がっているのは私です(笑)
私は、解決を急いでしまうところがあるので、でも自分のテーマだけは、手段を工夫したり・・・なんていうか、要領で乗り切らないで、正面からぶつかって苦しみたい。

No comments:

Post a Comment