私は言語学をやる人をほんとに尊敬している。泥臭いからだ。
量子学や言語学は泥臭い、ザ・基礎研究!って感じがしませんか。「こんなんよくやるわ本当に・・・税金かけてもいいわ、納税者としてみとめる!You使っちゃいなよ」と思う。まあ研究はみんな泥臭いんだろうけど・・・
あと文法書とか辞書を編纂する人。大学のときの英文学の先生の先生(の先生の先生かな?)は、辞書を作って、寿命を縮めたそうだ。「辞書を作る人は、大変すぎて、早死にする。作る人たちは命をかけて作っている」とよくいっていた。
こういう例を持ち出すもなく、辞書はロマンであり、OEDが生まれた経緯、OED史なんてドラマそのものですからね。それだけの本が出ているくらい。OEDは、その言葉の語源、初めて使われたのはいつでどこか、みたいなのが載ってるんですが、ひとつひとつの単語について、OED編集部がその語に関する専門家に手紙を送って、辞書に載せる原稿を書いてもらったんです。(たしか)
で、どういう経緯か、ある単語について、精神病院の先生から原稿が届いて、それはすばらしい原稿だったのだが、実はそれは「先生」からじゃなくて、「患者」からだった。とかさ。
その患者はその道で優秀な人だったが、戦争で、捕虜に焼きごてを押し当てる役をやらされて精神を病んでしまった博士であった・・・みたいな。
今、うろおぼえだなとおもって「OED 歴史 精神病院」でぐぐったら、すぐ出てきた。
そうそうこれこれ。
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内容(「BOOK」データベースより)
41万語以上の収録語数を誇る世界最大・最高の辞書『オックスフォード英語大辞典』(OED)。この壮大な編纂事業の中心にいたのは、貧困の中、独学で言語学界の第一人者となったマレー博士。そして彼には、日々手紙で用例を送ってくる謎の協力者がいた。ある日彼を訪ねたマレーはそのあまりにも意外な正体を知る―言葉の奔流に挑み続けた二人の天才の数奇な人生とは?全米で大反響を呼んだ、ノンフィクションの真髄。
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言語学の話に戻りますが、証明書が必要で北沢タウンホールにいって、ほん吉(タウンホールとなりの古本屋)でこの本を買ったの。あいかわらず、タイトでクールな品揃えなあそこ。岩波文庫&新書のしめる割合が高め。本屋100万石だとしたら、40万石くらい岩波書店。大名。
言語と社会はお互い影響しあっていて、その相互関係を例を挙げてみていくっていう話。
あ、そういえば、この夏の収穫。
「人は、すでにわかっていることしか理解できない」
これは、どういう文脈で誰が言ったのかすっかり思い出せないのだが、ユーレカ!というか、エピファニー(啓示)、とにかく、一瞬のひらめき(自分がひらめいたわけじゃないのに)だった。
文脈はあんまりたいしたことじゃなかったんだけど(だから覚えてない)、たとえると、はじめてチョムスキーの生成文法のことを習ったときのよう。
「その考えはなかったわ!でもたしかにそうかも!いや、そうだ絶対!!」という感じ?
その理論を知る前と知る後じゃ、もう人間自体が変わってしまっている。知らなかったときには戻れない、というような、脳内革命。
それから最近はキティミシンが大活躍。毎日毎日縫ってます。かなり作りました。本(洋裁の基礎、みたいなのから、パターンブックまで)も相当読みました。
で、そうだ、自分は凝り性だったっけ。と思い出しました。何かに没頭するのは楽しい。最近、渋谷に行けばあそこ(109のとこ、ラッシュの隣の生地屋)、ユザワヤ。新宿に行けば、タカシマヤの上のユザワヤ、三越アルコットB3の手芸屋。吉祥寺のユザワヤ、コットンフィールド。と、行動範囲がびっくりするほど変わってしまいました。
でもひとついえるのは、私はソーイングタイプの人間ではないので、いずれ必ず飽きるということです。
(私が飽きないのは英語と本だけ。あとフィッシュマンズと岡崎京子!)
このブームにのって、来月からレンタルボックスで雑貨販売します。ま、私の布ものは売り物になるレベルじゃないので、母(洋裁学校出)のものとか、アクセサリーとか、グリーティングカードとかをおく予定なんですけど。
東京のかな~り西なんですけど(私んちよりもっと西)、遊びにこれる人はきてください。店番もやります。
いや、読んでくれてる人はほとんど不可能な場所かな。うちに来たついでにでも。
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