夏!
日本語もできないうちから英語をやるべきなのか(小学校で英語をやることについての是非) という議論は、10年たって、
やるべき!ゴー!派に強引に押し切られたようだ(知らないけど。もう始まってるんだからそういうことよね)
わたしはこのことについてとくに意見がないけど、反対する気持ちもわかる。自分自身母語に自信がないからだ。
このことについて、こういう調査をした人がいるそうだ。
授業で、おともだちについて紹介するアクティビティをすると、日本語ではともだちについて何も言えないのに、英語だと言えるんだそうだ。彼は絵を描くのが上手ですとか。
また、大人でも、例えばこういうイシュー
"伝染病が流行っていて、このままだと人々は全員死ぬ。この薬を飲むと3分の2は助かるが3分の1は死ぬ。薬を飲むべきか"(モラルジレンマのトロッコ問題みたいな)
これも母語でディベートするといつまでも結論が出ないが、英語だとすぐ決まるんだって。
母語は気持ちに近すぎて、英語だと少しそれが客観的になるから、こういう現象がおこる。
それで思い出したのが、藤圭子が亡くなったときの宇多田ちゃんのコメント。
彼女(藤圭子)は…、彼女は…、と不自然な翻訳調だった。
自己防衛的に、出来事と距離を置きたくて、客観的になれる英語に頭を切り替えて、そこから日本語に直したのかもしれない。
客観的になれるとは、母語じゃないから言語との距離があるのが1つと、もうひとつは、日本語が主観言語で英語が客観言語だからだ。
英語だと、行くも来るもcome、あげるもくれるもgive。
日本語だと、視点が自分にあるが、英語は、自分自身も視野の中に入った状態で、上から見ている。
宇多田ちゃんが最高に天才だったときのアルバムのタイトル"distance"。
神宮横浜3連戦は樹理ちゃん見に行こうかと、予告先発見てたら、6日に怪我で登録抹消してる…
モルツ球団ちらっと見たらピーコが太りすぎて誰だかわからなかった。篠塚さんは本当に変わらなくてステキだ。
タツ兄は出たのだろうか。ドラゴンズの人気が低迷して、ナゴドがガラガラで球団がピンチというけど、そんなの遠く離れた極東のマヌケなわたしですら、わかるわ。立浪を監督にすれば良い。