仕事に疲れて、本を読む。
蓮實重彦先生(編)の、90年代ごろの民族本を読んでいたら、アメリカでは白人が減っている、白人はいつかマイノリティになると書いてあった。2050年くらいには、白人の割合は、50パーセント以下になると。
さらに、そのことが、タイムだったかに載ったところ、そんなことで騒ぐこと自体、白人中心主義!みたいな批判が山ほど来たそうだ。(90年の時点で。)
そういえば、今アメリカで学校見にいって、教室に白人が8割とかいたら、違和感を感じるかもしれない(多いなぁ、と)
SATCも、4人のうち1人が(例えば黒髪のシャーが)白人じゃなかったらもっとリアルかもしれない。
昔のわたし(少なくとも90年代)は、出版物の写真やテレビ番組なんかに白人以外の人種が使われているのは、実際の割合より多いとかんじていた。それを、アファーマティブアクションなのかと思っていた。(当時、その言葉は知らなかったと思うけど)
牛乳なんて、だれがみても牛乳なのに、あと、milkが牛乳ってことを知らない人も珍しいと思うけど、それでもラベルに何ヶ国語も使って牛乳と書いてあるのは、少数(とまではいかないけどメイン以外の)言語ユーザーに気を使っているんだと思っていた。
小さい頃は、アメリカ、欧米には白人が住んでいるものだと思っていたし、たとえばルーシーリューみたいな人がアメリカ人ときいて、へえそうなんだ(白人じゃないんだ)と思う感覚がわかる。
けど2050年を過ぎる、何世代かあとにはそういう感覚を持った人はいなくなるのかもしれない。
それから"被差別部落の青春"という本を読んだ。これは2000年くらいの本。
この中でも、時代とともに感覚が消えていく。著者が部落の親子を取材すると、親と子の部落に対する感覚がまったく違っていた。親は、差別のせいで何十回も職場を転々とし、結婚は破談になりと苦しみ抜いていて、一方、子は、差別を受けたこともないし、好きになった人と結婚できた。差別をされることがあっだとしてるも、そういう人とはそもそも仲良くなれないだろうし、どうでもいいと割り切っている。親子で、部落の捉え方が違って当然だ。親と子の一世代の間に、少なくともこの親子の周りにおいては世間が変わっている(差別は無くならないしそんなきれいに解決しないと思うけど)
ほかにもたくさんの人に取材しているけれど、似たパターンはあっても、逆のパターン(親より子が差別を実感しているようなパターン)はなかった。
久しぶりに仕事と直接関係ない本を読んだなー
干からびた脳みそが潤った。
つぎは、夏だから怖い話読みたいなー。
モルグ街の殺人とか。今読んでも面白いだろうか…