スタサプに入った。痛い出費だがしかたない。我が愛猫もそろそろ2歳。筑駒合格めざしてそろそろお勉強もしてほしいと始めました。
そとづらのよさと英語(下手だけど物おじせず言いたいことは言いたいだけ喋る)だけで世の中渡ってきた感のある、自慢じゃないがわりとバカな私。でも学校の教科であるところの英語がよくできたので、落ちこぼれ感ゼロ、むしろ、学校の勉強がよくできた(ものもある)ことによって、出来る子扱い、模試をうければ県内何位全国何位とかで毎回表彰されて、人生途中までは自分がバカだと気が付かずに自己肯定感高く生きてきたおめでたい私であった。
この話は、まわりの同僚(ガチで頭のいい人たち)にとてもウケが良く、
“私さんが、英語ができたから途中まで自分は頭いいと思ってたって話、本当好きです”
“あれは本当にいい話だよ〜”
と語り草になっているほのぼのエピソードである。
大人になると気がつくときがくる。英語は学問ではない(言語学音声学うんぬんは別。学校でやる英語)。言語なのだ。日本語を不自由なく喋っている人なんだったら、日本語を喋れるようになったプロセスをもう一回辿れば、他の語だってそりゃ喋れるようになる。かのチョムスキーのかの有名な生成文法理論である。私のようなバカでもやればやっただけできようになるのが英語っていうか英会話。なのだ。
そんな私が今年度は環境が変わって、英語以外の教科も教えることになった。むしろ英語が1番いらない(英語はもう喋れる人が多い)。免許もないのに⁈教科指導するなんてありえる⁈と驚いたが、そういうものらしい。子どもの手前、しらないわからないともいえないため猛勉強しているところ。
年末の預言カフェで、お正月のオーストラリアは魔女の館で、予言されていた私がはじめる”新しいこと”ってこれだったのね…としみじみ実感しているところ。
あと、給料がへるっていうのも当たってた!生活にとても響くほどではないけど…。大きな雇い主は変わらないが、これまでいろんな特殊手当がついてたらしいのがごっそりなくなって、その結果…ということのようだ。まあ一年だけだし、私と猫が、不自由なく地味に暮らせていければそれでよしとする…
勉強は好きだけど地頭が悪いので人より苦労するが、高校受験くらいまでの、義務教育の内容は、大人として知っておくべきことも多いだろう。多くの人は子育てする中で子どもと一緒に、一通りまた義務教育の内容をなぞっていくんだろうし。そこへいくと、うちのこはねこだから、就学義務がないから、まったくスルーしてここまできてしまった。
そんな人もまた多いのか、スタサプには大人の学び直しコースっていうのもあった(私はそれ)。需要があるんだな…
お寿司。握りのセットを適当に頼んだら手前の一枚がでてきて、え!少なっ!って思ったらしばらくして2枚目がきてほっとした写真
ホットケーキ
あんこ挟んでとらやきにしてもよさそ
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