キャリア(ってほどでもない、自身は単なるコマ、非正規)の中で、自分だけがわかる転換期がある。
池袋のホームから、電車の中にいる私に笑顔で手を振ってるギャルたちがいて、よく見ると教え子だったんだけど、それがあまりにかわいくてまぶしくて(ドライアイ含)、なんてかわいいんだろう!私はなんて幸せ者なんだろうと泣きたくなった時と、
1年間の授業の終わりが近づくにつれて、”この授業このメンバーで、4月に戻ってもう1回やりたい、4月に戻りたい、そしたらあれやってこれやって…”と強く思って、それまでカレンダーにバツつけて指折り終わりを数えてたつらかったこともたくさんあったもんで、自分でびっくりして、こんな気持ちになることがあるんだ、と思った時。
もっと派手な思い出もあるが、なんていうか日常の中で自分の中に自然におきた変化が、それからの支えになった。
その後不思議とどこへいっても子どもたちがかわいくて、授業もたのしくて、前回の職場はたまたま何年もいられたこともあって同僚たち含め思い入れもあって、もうここで得た財産を心の支えにがんばっていこう、ここ以上の経験はもうできない
とか思っていたのだが、なんと今年度の職場は長くはいられなかったけど、さらになにからなにまで私の好みど真ん中。信じられなかった。
やばい、こんなところ経験したら、次にどこへいっても”前はよかったな、それに引きかえ今は…” みたいに不満に思う未来しかない!
と絶望していた。
すると、来年度の仕事はこれまでとまったく違う職場になった。これが同じような職場だと前と比べて切なくなるところだが、ここまで内容も場所も違えば比べようがないし大丈夫じゃないか?
しかも、よく考えれば私やりたかったことじゃない?みたいな仕事。
私は若くして外国でガイジンになった経験からか、ずっとマイノリティに関心が強かった。私がこれまであちこちお世話になった定時制の学校も普通校に対してのマイノリティでもあるし、そこにいる人たちも多様で、非常に私に合っていたし、夢が叶っていた。次の仕事はさらに明らかにマイノリティに関わる仕事。
と、書くとまるで運が良いみたいだが、このキャリアの間ずーーーーっと疲れてた!本当に大変だった。幸せをそうとも思えないくらいいつもいつも心身共につらかった、がんばった!まあそれは私の残念な体力、残念なあたま、残念なメンタルのポテンシャルの問題であって、そんだけ心身すりへらしてなにをしたかというと、実際たいして社会的にはなにも残していないと思うけど、私にしてみたらすごいことである。私にしては。
そして思い返すのが、占い。
預言カフェっていう赤坂にある不思議なお店(コーヒーを頼むと預言がきける)があるのだが、年末ごろそこへ行った時に、
今すごく色々言いたいこと(ムカついてること)ありますよね?笑 (いろいろ納得いかない、なんで私ばっかり?となにかにつけ思ってた)
神様はわかってます、あなたに、それなりのものを用意してますからね
新しいことを始める気がします
みたいなことを言ってくれて、なになに、なんかくれるの?楽しみ でももうこれから新しいことなんてできないよ〜 と思ったんだけど、これかぁ と。
年明けにシドニーでリーディングしてもらった時も、キャリアが新しくなると言っていた。
占いって書くとなんか今特にアレだけど、リーディングっていうか… は、すごい
あとこう書いてみて思ったがほんとに、私のくせに働きすぎた。来年度の契約が終わったら少し休む。今年度、キャリアの超初期に上司だった人と別の形で再会して、利害関係がもうないから安心して仲良くしていただき、思い出ばなしとかしながら、こんな時が来るんだなぁ、と、ひしひしと節目感を感じた。これは少し休めというサインだな!と勝手に思ってる。休むぞ
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